十一、十二月

▽町内の気寄ったものたちだけの会合は毎月二十三日ときまっており、会場の選定は順繰りに一人が受け持つことになっている。たまたま十二月の例会の当番は私だった。小さな町だが、さがせば変った場所があるものだが、あまりこうした世界に暗い私なので、ちょっと苦労した。
▽でも引き受けるところがあってみんなに通知した。年の暮ということもあって、お互いに忙しい身柄なのに、案外大勢集ってくれてホッとした。(梓)という飲屋だった。あずさと訓むが、アルピニストには馴染み深い名前である。
▽待っていてくれて、ぐつぐつ鍋物が煮えていた。鱈、蒲ボコ、豆腐、葱がほどよい塩加減で湯気を立てて、みんなの顔を撫ぜた。盃を重ねてゆくうちに、思い思いの雑談がかわされていった。三十代のもの、四十代のもの、五十代のもの、そして六十代になったものが先輩面をしたつもりだが、さて通ぶった顔もせず、たのしく崩れてゆくのだった。
▽したたか酔うというのではなく潮時と知っていて、少し変った茶漬があっさりとした去り際をつけてくれるのであった。冷々と冬の信州の大気は快かった。それぞれ家路に足を向けるマジメさが嬉しいのである。
▽二十三日あたりの夜はクリスマスだ。若者たちが何の造作もなく何のこだわりもなく、この夜をめでていた。家に戻ったら、いま夕飯をすませたばかりだ。デコレーションケーキは買ってなかった。さびしいなとつぶやいた。
▽あたたかく着ぶくれている孫を背負って外に連れ出した。そんなに寒くなかった。うしろから若い男女がクリスマスイブの帰りらしい談笑を交わして、すれ違うように孫に「プレゼント」といって何かを呉れた。それはあとで開けてみたら、仮装のノンキなトウサンの鼻眼鏡であった。
▽孫のポケットに百五円入っていた。鯛饅頭を七つ買った。少しあたたかだった。家族のものたちにとってその鯛饅頭がクリスマスの贈物なのである。静かな夜だった。肩を寄せ合って食べた。人生の道草を食っているなと私は思った。生きているなと思った。