七、八月

▽道路に面したところに工場がある。松本城にほど近いこのあたり観光客のことを考えたら、工場をここに置いておくのは甘い、奥にひっこんで、おもてをもっと活用したらどうかという意見をちょいちょい人が出してくれた。
▽前に商店診断をして貰ったとき土産物屋でも特徴あるムードをかもす必要があると言い、喫茶店なら地下にもぐるのもいいとのカルテが出た。さてすぐ開店というわけにもいかず、自分で経営するかわり、他人がいい場所だからおもてだけでも、或いは二階だけでも貸してくれぬか、そんな申込みを二、三受けた。
▽おもてをどうするかについてははっきりしたフンギリがつかないまま、予定通りうらの空地に新築し、その空地の隣りにある建物と接続して、まとまった工場にすることにした。
▽空地は春は桜んぼ、たんぽぽ、夏は牡丹、芍薬、秋は柿など、樹木や草花にはこと欠かず、自然のこじんまりした公園だったが、あとかたもなく、新しい鉄材が組まれていくのを、わが愛犬はしょんぼり眺めていた。
▽このところめっきり老いこんでしまい、しょぼしょぼした眼がさびしそうだった。空地の隅に小さな屋根のあるねぐらが安息所だったのに、新工場が建たることで追いやられたかたちになった。食欲が減り、足もよろよろとこころもとない姿に変っていった。
▽どうもおかしいからだの調子を慮って、獣医に来ていただいた。「齢だね」ぽつんとそう言って注射をうってくだすった。わが愛犬はただなすがままの姿勢だった。もう鎖はいらないだろうと解いてやった。死期に近づくと自分のみじめさを見せないために、どこかへ行くということを聞いていたがひょっとした柏子にいなくなり、どこをさがしても見つからなったが、夕方、近くの車庫にいるのがわかり、抱いてつれてきた。
▽もう眼は見えなかった。私が名を呼ぶとかすかに聞こえると見えて尾を力なく振ってくれた。それが私には悲しかった。おちついた場所にひっそりと置いてやった。八月十五日午後、やすらぎの死がわが愛犬のまわりを取り巻いた。