六月

▽戦争中の頃、民謡というものがしりぞけられ、買い求めてあつたいくつかのレコードをときどき土蔵のなかで、古ぼけたビクターの犬の画の入つた蓄音器のハンドルを廻しながら掛けて聴いた想い出がある。何かしら遠い幻のようなまたなつかしい自分だけの時間であつたことよ。そう思う。
▽いまは履んでも、落としても破れないレコードだが、履むとこわれ落すとわれる丸い大きなのを、後生大事にしてある。大した珍品があるわけではないが、落語が好きだつたせいか、三遊亭金馬柳家金語楼のものがいくつもある。岩田祐吉、栗島澄子の枯すすきなんてのも入つている。
▽私の姉の子はもうそろそろ三十なかばになるが幼い頃、見出されてポリドールに童謡を吹込んだ。いい声であつたのだろう。二十枚ほどになる。やつているうちレコード界というものの仕組みに愛想が尽き、親の方からご面を蒙つて二三年で退き童謡歌手、山崎一郎の名も消えてしまつた。姉の家は戦争中、東京から私の家に疎開してしまい、一郎も海兵に行つたりし、主人は陸軍司政官でスマトラへ赴任したりで、レコードもいつとなく失くしてしまつたらしい。ときどき上京してこの話をすると兄も姉も一郎も、なつかしいなあレコードをぜひ聞きたいと言う。今度持つて来ようか、そう約束しながら、どつさり重く、まだ土蔵のなかに眠つている。三十年も前の自分の声、子供の声はどんなだろうと、こちらも胸をあつくするのである。
▽いつまでも続き、人気を拍している流行歌手がある反面、いつかしらなくなつてゆく歌手があるに違いない。さびしい。たまらなく好きな歌手、たまらなく嫌いな歌手が人それぞれにある。私はテレビで見て聞く場合、そんな好き嫌いはあまりない。三波春夫シヨーにいつも司会者をやつている。荒木おさむ。ハワイに巡業した便りに「おやじも行かせたい」という親孝行者だ。