五月

▽どの提灯にも電灯が点いて、ずらりと屋上の四囲を飾つている。スカイビヤガーデンと銘打つて、夏の夜空を仰ぎながら渇を慰やす人たちを呼ぶのである。松本城に近いところにも、また繁華街のまんなかにも、それらしいビルが人恋しい顔つきをして黙つて立つているのである。
▽平素、夜景を高いところから見ないし、押しつぶされたような低い家並に棲息しているものにとつて、晴れ晴れとして気分でジヨツキを傾けつつ、浩然の気を養うなんかは嬉しいにちがいない。夏の山登りの行き帰りに、つい足を向けさせたこの屋上の椅子に坐つて夜目にうつすらと連なる山々の姿は、旅びとの目にどんなになつかしく映るのだろう。雀色時、あたりが静かに暮れなずむ頃ほい、その色の匂いのなかで、微酔のこころを濡らす信濃の空気はうまい。だん〱暮れてとつぷり暗くなると、ふつと自分に返り、自分のよりどころに気づくのである。
▽私は大抵、愛犬と歩くのは夜であつて、滅多に朝早くは連れて歩かない。朝の散歩は健康にいいと誰でもいうので、ちよいちよいひとりでテクルことがあるが、愛犬と行動を共にしない。見しぼらしい駄犬種だから、気が引けるのかというと、そうでもない。連れ立つて歩く同伴者のいるのはやつぱり夜の方が気安い。明るいなかで一しよでは面はゆいらしい。これも古い頭のせいだろう。
▽ビルのつぶらな瞳をした提灯が愛犬の鎖に届くような、そんな光ではないけれど、そんな気がして通つてゆく。鎖のどこが少しジヤラついて音がするとき、満喫したビール党員がたのしい酔いのほのかな福耳をそばたてるのではないかと、私はビルの方に目を上げるのである。君たちはそれぞれの位置で、閑暇をうるおわしているのに羨望を感じるほどでもないけれど、充分たのしむがいいではないか。美しい夜空、ちりばめた星のかず、ただ何となく愛犬と歩いてゆくのもわかつてくれ。
▽ひとときの解放感を味わい、ひとすら前へ前へと進むこの犬の真正直さに、私もついてゆきたい。それでこころがつながれる。