四月

▽何か好きな言葉を聞かせてくれといわれたら、気取つたつもりではないが(夜目遠目傘のうち)をあげる。古い言葉だが、人情つぽいものが含まれ、ツンとしていないのがよい。色つぽさがあり、つつましさもある。五、五と並んで調子が揃うので、口のなかでうまく合うのである。
▽夜目で見る、遠くから見る、傘のうちを見る、美しく見えるのだ。そう見るものが間抜けなのか、そうさせるのが利口なのか。どうもこの間の抜けたのが私らしい。あけらぽんとしている、早呑みこんだ、ぐん〱押し込んでゆくたちではない、ひつこみ思案でなまぬるい、控え目がいいつもりで何もかもすまされた、下手だなあと思う。そういう自分を横で眺めて、だから(夜目遠目傘のうち)のおかしさがわかるような気がする。
▽私の父は人にものを呉れるのが好きだつた。おやと思うものがなくなつている。わざわざ返しに来てくれて、かえつて恐縮したこともある。親戚に義理で行つたら、どうも見たことのある横顔がデンとこちらをなつかしそうに見下ろしているから、小首をかしげて応えてやる。なんだ、これは家のものだつたではないか。さては父が呉れたんだ、そうだ、そうだとうなずいた。(果行)という二字。字のはねるあたり、どこもそこも力を入れた特徴のある字。福島安正の筆法である。
▽私は亡き父をそのとき偲ぶがあまり、この親戚とのつながりにふれ、そして横デカイ長いやつをどうして家からこつそり運ばせたか、いぶかつた。そんな穿鑿を打ち払つて(果行)こそシベリヤ横断の福島陸軍大将にしつくりした言葉だと思つた。お前のところにはどうも合わないねと久闊を叙せられてる見たいだつた。
▽そこへ行くと父が骨董屋から買つて来た副島種臣の(白雲)はまだ〱私の目に馴れやすく、胸にひろがつて来る言葉である。どこへも行かず、古色蒼然と私の気持を読み取つてくれたのかとさえ考えてニヤリとさせられるのである。いまさら明治百年とは何事だと歴史家の意見もあるようだが、ゆるく流れるこの白雲の心を思う。