一月

浪花節研究の空白を一挙に埋める本格的浪曲通史といつた広告の見出しで「日本浪曲史」が南北社から発刊された。著者は正岡容である。マサオカ・イルル、なつかしい名前だ。事実、本誌にもよく執筆して下さつた。どれも過ぎし日を殊更に追慕するおももちを失わなかつた。
▽昭和三十三年十二月七日に逝くなつたから、もうかれこれ九年にもなる。世評はよくなかつたらしいが、当時NHKラジオのお昼の演芸の時間に、口語抒情曲女流によって語られた。必ずといつてよいほどに、案内のハガキの注文を寄越して私のところで印刷した。容さんが世話をした女のひとに、自分が書き下した台本で語らせたことになる。晩年、最後までみとつた愛人のひとつといわれている。
▽昨年、「落語三百年」月雪花の三冊を世に出した小島貞二さんから旧臘、イイノホール正岡容を偲ぶ会をやつたお知らせを得た。(正岡容好み 忘年名流落語会)である。金原亭馬の助桂米朝三遊亭歌奴桂文楽林家正蔵相模太郎柳家小さんのめんめんである。さぞ大いにうならせたことであろう。
岩佐東一郎さんの(風流豆本の会)というのがあつて、これはすべて頼まれてうちで印刷してあげたが、そのうち随筆集「寄席むかしむかし」は正岡容の著である。東一郎さんとは刎頚の交り、恰好の飲み相手でもあつた。
▽たしかに咏嘆的な文体で成り立つ原稿が多く、殆ど筆で書いたものが多かつた。思い出したようにひよいつと速達で原稿が届いた。一度も逢つたことはなく、東宝演芸場に何時から何時までなら、いつでもお話したいと手紙をいただいたが、つい逢えずに終つた。
▽寄席文化のはなやかな、たおやかな肌合いを愛するものにとつては正岡容という名をふと思い出すに違いない。相模太郎灰神楽三太郎とか古今亭今輔のお婆さんものはその作である。
▽(風流豆本の会)のうちで一番部厚い「寄席歳時記」を読む。仕事の重さ、仕事の強さというものを考える自分にさせる本で、またそれをやつと気付く此頃である。