十一月

▽菊の花がいくつも顔を並べて咲き誇つている。あまり手入れもしないのに、毎年秋の季節を知つていて、どれもこれも美しい色で匂うのである。裏の庭のあちこちに野菊のような置かれかたで、ひつそりと、咲くからには華やいだ顔つきをしてくれる。いとしい。
▽鋏で剪つて来て洗面所の小瓶に挿しこんでおく。家中のものがひとりびとりそれを眺めてくれるかと思いながら。少し水を入れて息付かせてやるのである。一雨ごとに晩秋の気はいを濃くし出すと菊は首をかしげてみなこちら向き御主人さま、私たちのいのちの美しさを見てくださいと言わんばかりに吹く風に少しゆれる。
▽ぐんぐん寒さが襲つて来て、菊の群もいつしか萎れ、くたぶれた色香にぐつたりするようになると信州のきびしい冬が訪れる。そんなとき、温暖の地をふと想い出して、おだやかな季節に恵まれた土地を目に浮べる。さしあたつて、すぐ隣の県の静岡あたりのぬくい陽ざしをうらやましがる。
▽白砂青松――その名の通り、三保の松原は名勝の地だ。晴れた日は霊峰富士山が眺められ、こんなに観光客が訪れなかつた昔なら、天女がひよつこり舞い下りたろうと思うのである。岩波文庫の山沢英雄さん校訂「柳多留拾遺」をひもどいているうち
 羽衣を返さぬうちは飯も焚き
が四編にある。しおらしい天女である。世帯じみてあねさん冠りがよく似合うのである。
▽そこへ行くと不埒な漁師にかまわれた天女は気の毒で、江戸小咄にあるように、翌朝、人間の味はどうであつたかと聞くと、うつとりして「天にも上る気持」と正直にうなずくオチがかえつて心憎くなる。
▽睦み犬を見た途端にカツとなる人間さまが、わが身のこととなるとさつぱりで悦に入つてうつつをぬかすものらしい。東洋文庫の武藤禎夫さん訳の「昨日は今日の物語」に、無道な坊主が若衆を無理に押しつけ味をしめ、さてそこでなおも指でしきりにいじるのである。「何をなされます」と若衆が腹を立てると「味わいがよいとは不思議じや、さだめし、中につびあろうかと思つて」とある。