八月

▽自分だけが苦しんでいるような気がして、はつと寝覚めが早いのである。負いかぶさる何かがあつてこうなのか、自分が殊更にそうするのか、それはわからない。どうにか暮している筈なのに、追われるみたいにこせこせする。
▽遥かな希望を夢見ることはもう失せていて、見事にしてやられた落武者のように、うらぶれた影だけを見つめて、とぼとぼ歩いてゆく。それが持つて生まれた性分なのだと、また思つてもいる。月が美しい晩には無精にさびしがり、平素唄えそうもない口の端から、聞き覚えた唄のひとつふたつがつぶやかれ、うかうかと足のむく方に辿つても見る。
▽長いような、短かいような時間であることはたしかに知つて、生きて来たいまの身の浅はかさに気付くとき、まわりの人達の善意が一層しみわたつてくる。至らぬことばかりにむしかえして来た過ぎし日のなかで、いかにいたわりの言葉と仕草がこの自分にさしのべられた記憶に、せめてもの新しさが湧くのがたまらなくせつないのである。
▽晩酌のひととき、私の句にあるような
  ほころびに似てこの酔いを
      たのしむか
 そんな小さな世界を誰にも渡したくなく、静かに盃の底をたしかめ、とろんとした瞳をどこということなく向けて、まわりのものたちの居心地を見やるのて【ママ】ある。
▽いやなことが重なると、言葉にも動作にもあらわれて来て、これはどうも困つたと、捨て切れぬ想いがからんで、はたのものをはらはらさせる。じつとおちついた肚はお世辞にもなく、ますます落ち込んでゆく。
▽ほんとうにふところに飛びこんで呉れるのはわが愛犬だけだと、ひとりできめてしまつて、鎖につながれたままだが、外に連れ出し自由な散歩をさせる。あちこち嗅ぎ廻り廻つてわが家に着くと、愛犬はやはりねぐらに居ずまいを正しておちつく。私もおちつきたい。