十一月

▽夜の散歩には何としても連れ立つてゆくわが愛犬の顔がいとしいのである。月の出のいと早く、日本アルプスの横たわる姿を夜目にする街角をくるりと廻るとき、人間でない彼女の機嫌に合わせての信頼の鎖がじやらつくのである。足早に通り抜いてゆくのは夜道の若い娘ばかりでなく、大方の人たちがぐんぐん追い越す。たしかにわれらコンビはコースだけの散策に興じているので急ぐことはない筈だ。
▽予定の如く主人の私がもうどこへも廻らないことを知つていて、家の戸口のところへ辿り着くと、あけて貰い中へ入ることをせびるのが常だ。心得たものである。それが型のようでいて飼われる身分に思いきめても、馴らされた判断が可愛い。長い路地を私は引つ張られ、ほんとに走るようにして庭に出る。庭から曲つた土蔵のわきにねぐらがあるわけだが、細長い庭にほんの小さな池がある。
▽奥能登へ行つたとき、時国家の古びた池を見た。平家のもろもろの執念がしみついた池と思つて、異様な感慨にうたれた。そんな大それたわが家の池ではない。心字をとつたわけでなく、出まかせのつくられた池だ。この池のところへ来ると、両脚を踏ン張つてわが愛犬は乾いた喉をうるほすままにペロペロと水を呑むのである。実にうまくたくりこむ、おいしそうだ。どんなにおいしくても、またこんなに小さい池の水でも、早速みんな平らげるものではない。また明日呑ませていただこうと、それをやめて嬉々とわがねぐらに赴く。
▽この池はうちの倅がこしらえたもの。出そうもない下水井戸の水盤がどうも目ざわりで、一挙にとりつぶし思い切つて池をしつらえたのである。深く掘り、また特に深く掘つたところにズン胴の、マルマスを埋めた。そこだけスツポリ隠れ家になつている。
▽池が出来て、コンクリートの匂いがすつかり脱けてから、夜店で買つた金魚をいくつも放ち、鯉も貰つて同居させた。ほんとに仲がいいのである。うすら寒い朝、池に氷が張りつめると、金魚と鯉はマルマスのなかに沈んで冬篭りとシヤレこむことだろう。