九月

▽秋の陽を浴びて犬の審査会が行われていた。のどかな風景であつた。旅の行きすがりにただ何となくのぞいてみた。大きなリボンを胸につけた審査員が指図すると、候補の犬が飼主に連れられて、仲よく並ぶのである。毛の艶も秀でちよこなんとみんなけだかく、取り澄ましていた。
▽小さなグランドを短い手綱の親近感でグルグル廻ると、居並ぶ観衆が目を細くして可愛いげに眺めるのであつた。どうしたのだろうか、一匹の犬は何としても動かず手こずらせてはらはらさせ、腰をおろして思うようにならない。主人は晴れの審査の広場だから、日頃の訓練がこの一期につぶされることを思い知つてか、しきりにうながすのだが、どうにも行動をおこさず、果ては見る私たちまでいらいらさせるのだつた。
▽出番にならない犬たちはそれぞれおめかしをさせて貰つていた。牛乳の瓶がいくつも転がり、ふさふさと垂れている耳のあたりを丁寧に軟らかいブラシで撫でられてもいたし、秋日和の安息にながながと横たわり、こまかい陽ざしに眠りこけているのであつた。
▽キチンと恰好のよいねぐらが持ち込まれ、常にこの小屋に臥ていることを証拠立てるように、いくつも据えられ、それが誠らしく日常性に仕組まれた生活そのものの如くであつた。枠にはまり、限られた巣であつても、定規正しくふくよかであたたかく、見る目に求められた安住のおちつきであることをさとすのであつた。
▽それにくらべ、わが愛犬のむさくるしい伏屋はいかなものであろうかと慮つた。陽の射さない北の空を見るばかりに、いちにちを費す寄る辺なさがそこに置かれていることを。
▽遮二無二吠える在野意識はあることがせめてもの憂さ晴らしになろうかとまた一方では考えた。あきらめることをいち早く知つて、そそくさと巣にもぐる。誰のお節介もなく糞を垂れ、しばしを伸びにまかせ、残肴にむしやぶりつくのである。
▽「水を飲んで楽しむ者あり、錦を衣て憂ふる者あり」中根東里の言葉をふと思う。愛犬は知らず、われは身勝手に知りたがるのだ。