七月

▽先日、所用で上京した折、新宿の末広亭をのぞいたら、小正楽の紙工術が演じられた。師匠の林家正落がつい一ヶ月ほど前に逝くなられたことを思い出し、あの円満なニコニコ顔が今更になつかしくてしかたがなかつた。
▽私は林家正楽さんとお会いしたことがある。丁度、上野の二科展を観に出掛けたとき、鈴本の前を通つたら、正楽さんが出演していることを知つた。受付に刺を通じたら快くお会い出来た。尤も私はその前に屡々文通はしていた。それというのも、本誌に連載した田中野狐禅さんの「紙と鋏の芸術」をまとめ、書名も紙切りにしこれを凸版にとつて印刷、紙切りの実物を一々貼付して一冊にしたものをお贈りしてからである。そのとき丁寧なお手紙をいただいた。
野狐禅さんは福島県に在住して川柳を投じてくれた常連で、そのうえ古句にもくわしくその研究を投稿して貰つたが、この「紙と鋏の芸術」は特に内容を吟味して自分でも力作だと自負していた寄稿だった。紙切りに堪能だつた著者の回顧録である。(或とき私の姓名も紙切りにしてくれた)
▽これを受取つた正楽さんはプロの立場から野狐禅さんのアマのうまみを素直に味わつていることをいつて寄こした。たしかお二人はそれで交流が出来たように思う。野狐禅さんは私の父と同じ歳で明治八年生まれだつた。私の父より長生きをした。正楽さんはことし四月十五日に逝くなられた。二人で紙切り競演をやつていることだろう。
▽正楽さんは信州人である。飯田市出身で、早大名誉教授の河竹繁俊氏や詩人日夏耿之助氏も同じ土地である。昭和三十九年頃から持病の心臓病が悪化して高座からおりたことを知つて、お見舞の手紙を差出したらお礼のことばに添えて紙切りの実物を送つてくれ、まだまだ再起の気持のあることをほのめかしていた。
小島貞二さんが毎日新聞社から「落語三百年」三冊を著わされたが、その(昭和の巻)を見ると、正楽さんは新作落語にも手掛けられ、(壷)(峠の茶屋)(さんま火事)(旅行日記)など約三百本もあることが載つている。