三月・四月

▽自動車やオートバイがしきりに通る駅前の道路を横切つて向うがわの望遠カメラが、連れ立つて雑談してゆく私たち川柳仲間をとらえている。これから松本駅掲出川柳を取り替えにゆく日取りになつたという設定である。道路が広いので私たちを撮つていることは誰も気付かない。それがとても嬉しくだからポーズも自然である。
▽SBCテレビで三月十八日放映されるシーンをこうして朝から夕方までロケすることになる。駅前が先ず手始めだ。これが済んだら浄林寺の献句をスナツプし、またお風呂屋さにもゆくのである。
▽浴場の主人が理解があつて、川柳を掲げる場所を提供してくれたお蔭でもうかれこれ二十年にもなろう。男湯と女湯に興味深げな別の題の作品を選んでいる。例えば男の湯に「女湯」女の湯に「男つ気」という風に。
▽松本の川柳の歴史は古い。柳多留五十六篇の序文にも見られるように文化八年、天白神社奉願のことがある。外景が撮られてゆく。
十返舎一九が松本に来たのは文化十一年七月晦日である。予ねて親交のあつた高美屋甚左衛門を訪ねた。清水の清宝院で一九を囲んだ歓迎件流句会が開かれている。川柳点の十題連で、一九が選をする。明治の廃仏棄釈で廃寺になつたが、このあたりと思えるところに叢祠がある。わが松本の川柳の先輩はこの辺を逍遥したことがあろうと、当時を偲びながら私は河岸を通つてゆく。女鳥羽川が流れている。望遠で後姿。
▽高美屋甚左衛門の家はいまも本町二丁目で書店を経営している。今度は私が訪ねることになる。蔵から出した古文書について主人と二人で語るカツトである。それから郊外の東筑摩郡波田村の百瀬家に赴く。水沢観音として霊験あらたかで名のある若沢寺を、一九が甚左衛門の案内でお詣りしたとき逗留した百瀬宅の庭園に、一九揮毫の石碑があるからである。
▽最後は「田舎樽」をぐつと近付かせてカメラがしぼる。長野県唯一の古川柳句集、文化年間刊行。一九が序文。私が句作し、執筆してゆくところが暫らく続く。抱負や希望が録音され、やつと解放。題して「川柳四十年」のお粗末