十月

▽文明開化・異国情趣の充ち溢れた特異な版画に心をひかれたのは川上澄生という人の作品にふれてからである。南蛮風俗に題材を求めて、その時代を髣髴させる画風は、版画がもたらせてくれる魅力であつた。そして私はその人の名を覚えた。
▽イメージは回顧である。或いは耽美といつてもよい。かもしだす雰囲気がこよなくも奏でる音色に融けて、幻想の世界へ誘いこむのであつた。ひとこまの画がゆくりなくも心の郷愁をゆすぶり、淡いたそがれに点くガス灯のいろの哀しさを知るのであつた。私はそういつた印象を川上澄生の版画から掬みとつていた。
▽「川柳しなの」を創刊して二年目、昭和十三年二月号から「蔵書票特輯」を連載、その紹介に当つた。九月号には川上澄生さんに執筆していただいている。そして肩を並べて同じ号に棟方志功さんも快く「蔵書祭本旨」を寄稿してくれた。棟方さんには戦後まもなく松本で逢つたが、川上さんとは長く逢つてなかつた。
▽十月九日から四日間、当地の信州画廊で川上澄生さんの版画展が開催されるという案内があり、またご本人からもお知らせがあつたので、歓迎夕食会に出席して初めてお逢い出来た。ほんとうに長い知己であつた。手紙だけの久しい友達だつたが、当地に居ながらにして逢えるのは幸だつた。
▽戦争前夜、しばらく北海道におられ本誌にアイヌの老婆や風景の版画を提供して貰い口絵になつているが、そんな古い雑誌をお見せしてなつかしがつた。
▽版画集「えげれすいろは人物」「少々昔噺」「変なりいどる」はたのしい本である。簡明直截の手法に端麗さがにじみ出ている。私は愛惜しておかない。
▽川上さんは犬が嫌いらしい。外を散歩していても、向うから犬がやつて来ると、脚がすくんでしまうという。そんなことが版画集の「ランプ」のなかで紹介されている。根がやさしいわが愛犬も、恐らく初めは温厚篤実な川上さんに吠えるかも知れない。でも私が頭を撫ぜて、長い間の友達だよとさとしてやれば、心が通じ尾を振つてくれるだろう。また逢いたい。