七月

▽ふたつ犬を貰つて父の家に自動車で運び、二三日ほど置いて、一匹だけ連れて来た。それからまもなく或る日、その犬が突然いなくなつた。ぬすまれたものとあきらめていたら父の家から持つて来てくれた。「朝起きたらうちにいたよ」というのである。子犬がどうして四キロも離れている父の家まで行つたのか、それも連れて来る時は自動車だつた。一度行つたきりなのに、どこをどのように歩いて、父の家に達したのか想像もつかない。
▽そんな風な随筆が載つているのを私は新聞で見た。向坂逸郎氏の「私と犬」である。そういえば私のところでもこれに似た犬の実験資料を持つている。いまいる犬ではないが、少し暴れん坊で吠えつき、そのうえ噛みつきかねない。飼い主にも堂々と抵抗するのである。「来い来い」と呼んでも知らん顔でうずくまつていて、なかなか言うことを聞かない。首つ玉を持つて引きずつて来ようものなら矢庭に振り向いて大きくワンと襲いかかつて凄い面貌になる。
▽犬よりも人間の方が弱いと来てはお話にならない。ほどほど手をやいて何とか手馴づけていたが、近所の人が「おうちの犬は昨日も今日も子供に噛みついた」といつて注意してくれる。たび重なるとこちらも考えないわけにはいかなくなつた。
▽よその土地で、よその人に飼つて貰えば或いは性格が変るかも知れないと思いつき、犬小屋に無理やり押し入れてから、入口をガンジガラメに縄で縛り、とても逃げられないようにして、六キロも離れた川岸に置き去りにし、荷札には「どうぞお飼い下さい」
▽やつと安心したと思つたら一週間経つて勢いよく路地を走つてくるものがある。驚いたことにたしかに遠いところに置いて来た筈の犬である。泥まみれだ。ほんとうに嬉しそうだ。私のからだんになすりつけて甘えるのだ。
▽犬には方向感覚があることを知つた。内田亨氏の「犬―その歴史と心理」に、この感覚の原因をつきとめることは現在できないと書いてある。こうしてみると犬も生れながらの特技があるのである。