六月

▽御座敷に面して横に長い小さな庭がある。ここに一本のひよろひよろした楓が樹つ。みんな掌をひろげているべき筈なのに、ややちぢかんでこの夏をこごえている見たいな指をしている。
▽伜がどこで聞いたか、物知り顔に「父さんがあんまり水を撒くので、根元が腐れかかつてくる。だからあんなにしおれて弱々しいのだ」といつた。ギヤフンである。私は如露で庭をくまなくそそぐのが好きだ。能もなく、ただ撒いてやるだけで朝が始まり、夜が訪れると理解している。
▽これも亦あるじに似てひよろひよろした薔薇がいくつも紅色の花を首うなだれるほどに咲き誇つているとき、また紫陽花がちよこなんと居坐りよくしている姿を見るとき、そんなときどきをいくつしむように、水を掛けて来た。
▽仙人掌を縁の下から出してやつて、その日、息を吹き返すべく、ちよろちよろと水を与え、あまつさえ翌日から掛けつづけた。仙人掌はそんなに水をやつてはいけないと言われても、無性に可愛がりすぎる親のように、愛の水をふりそそいだ。
▽仙人掌はなるほど青さの色がうすれ、艶気を喪つていつた。それから言われた通りずつと水を敬遠させているが、それも足元近くに置くとつい水が撒きたくなるので上目使いをしなければ届かない棚のうえに鉢が並んでいる。たしかに面白い植物である。
▽うすよごれた身体の上にこぶのように子供が生れた。それは元気溌剌として青い。おやじは色褪せているが、子供は真つ青で、それは全くいのちのあらあらしさを感じさせる。どの鉢も重たげだが、わが子の生長を夢みながら何か美しい願いをこめているのだろう。
▽わが愛犬は小舎で寝そべつている。少し私が叱つたからである。去年見事に咲いた向日葵のあと、また芽を出し、背くらべするように大きくなつてゆくうちのひとつの葉をいく枚も食つてしまつたからだ。味噌汁をかけた御飯の器物も目もくれず、飛んで来た雀たちの啄むのを知らん振りしている。「われと来て遊べや親のない雀」をしみじみ味わつている風に。