四月

▽春になるとぼつぼつ夜店が賑わい出す。とざされていた信州の冬の眠りを覚ますにはいろとりどりの季節の花は美しく適つている。緑や赤や黄のカラーは道行くひとの目にあざやかだ。少し水をくれてあるから、露がしたたつて、そして光つている。
▽こんなに電灯を利用する夜店にならない前は殆どアセチリンガス灯を使つていた。今から考えればインチキめいた露店もままあつたが、初めはだまされていたけれど間もなくそれとわかつてから、重々承知で見て廻る。並んだ大道商人の売り声が妙に競い合つた。
▽よりどり見どり何でも十銭という店もあつた。その隣では自然薯を何年も乾燥したような、とても堅い心臓病の薬と称するものを、小刀で少しずつ削つていた。説明しながら小刀の腹へちよつと乗せて試薬に供するからといつて廻りのお客にすすめる。時期になるとその人は必ずやつて来て店を張つた。年取つていて声もあんまり出ない弱々しい風態であった。
▽仁丹をだんだんお負けにして売る。まだいくつ出るだろうという期待が、その売り言葉の面白さと手伝つて片唾を飲ませた。お客をたくさん集めるために茶碗を両手にふせて、綿を少し固めた小さいものを消したり現わしたりする手品を披露した。私はあとで知つたが、この手品は見せものとして通用する原始的なはしりであつたのだ。わが国でも平瀬輔世著「放下筌」は明和元年刊だが、下巻にその伝授が載つている。
▽手品といえば縄抜け術がある。ガンジガラメに縛られた術者が、カーテンに隠れた寸時、忽ち抜け出てくる手合い。込み入つて来ると袋に入れられ、なお箱に詰められても見事に自由の身体となつて思わざるところから登場する。
▽わが愛犬がこれをやつてのけたのだ。いい鎖がないので縄切れで縛つておいた。ところがいつの間にか抜けてゆくのである。吠えるだけが得手だと思つたが、さすがわが愛犬だワイ。だが実は噛み切つていた。噛み切り術だ。可哀相だが今度は鎖を買つて来た。柿の木の下に縛られ、あきらめて猿蟹合戦の夢でも見ながら昼日中春眠をむさぼっているのである。