一月

▽犬が仔を産むときは静かで、ひつそりした時刻である。助産婦という人を呼ぶでもなく、声は立てず、至極当たり前のように安々と身軽になるのである。けろりつとした顔付きだ。
▽うちの犬がそろそろ出産ではないかと、お腹を撫ぜてやつて、いつ頃だろう、日はわからないが、夜明け方であることに間違いはないと思う。それほど彼女は人の目覚めのやわやわした時刻を選ぶのである。きまつたように、本性のようにたがえない。
くるりつ、みんな妾のこどもよと、愛くるしいしぐさで抱いてうずくまつている。まだ目のあかないいくつかが、少し湿つた鼻づらでしきりに母の乳房をさがし求めるのである。その姿はいじらしいし、ほほえましい。おとこたちのうちで最も好いたらしいものと愛情をたしかめた激しいいくにちかの証しであるけれど、そのいくにちかの秘戯図があまりにもあらわのために、飼主はおもはずかしい気持になるのである。
大根おろしのとげとげした金具をブラさげて、いざ来れやとまことに残虐な拒否を人間さまの私が考案したことはいつか書いたが、神妙に、いうがままになつているうちはよかつた。ときどき身動きをし、うまく糸で結えたつもりがゆるくなつて私がいない間にずるけ、この滑稽譚も彼女と彼の冒険の成功に結末をつけさせるザ・ハツピー・エンドになつてしまつた。
▽私がはたちを少し過ぎた頃、版画家中田一男さんを知り、作品がいくつも送られて来たなかに、住吉人形としての睦み犬があつた。数度摺で、些かも卑猥感はない。素朴で土俗的な色を湛えていた。
  でかめろん哀しい唇を
     見せに来た     民郎
の自書に、裸婦を添えた川柳版画を限定版でこしらえていただいたが、みんな知友に差し上げて肝心な私の手元に一枚もない。でも私の瞼のうらにその若き日をえがくことは出来る。
▽エキスリブリスを初めてこしらえたのは中田さんの土偶図であつた。珍しく黒一色だ。持つている本でこの蔵書票の貼つてあるのが年代的に若いわけである。その図のごとく想い出は古めかしい。