十二月

▽長野県俳人協会が結成されて二年、総会を兼ねた年刊句集発刊記念句会があるから来賓として来て呉れないかとお知らせがあつた。俳人たちに会うよい機会だと思つて十一月二十九日信州大学文理学部二十二番教室に赴いた。階段式の会場で、定刻十時きつかり大勢集つていた。
▽顔馴染みの人もいる。実は私は川柳を始めてまもなく、同じ十七音律である俳句の本質を知らなければなるまいと思い、俳句の指導書や句集を繙いて知識を得ていたうえに、実作が先ず必要ということを感じ、市内の俳句の集いに参加したのは昭和の初めであつた。
▽最近句集「筑摩野」を出した細田高夷さんのお宅で、句を作つては選をしていただいた。隴人、泉啓、稲村、石人、岑人さんのほかに久二、鈍刀、魚九史、芹水、千鳥、盈江、袁喬、晴陽さんを思い出す。吟行会ではてく〱玄行寺にゆき、庭石に腰掛けて句を案じたことだつた。
▽それでなお且つ川柳を本意にした。決して両刀使いではなくて、自分本来の川柳はどうあるべきかの目安として、俳句をもたしなもうとしたのであつた。それは若さのせいだつたかも知れない。俳句を作り、俳人と交ること二年、ぷつつりやめた。そして私なりに理解出来たのだろう。
▽そんなわけで戦後ラジオ放送の文芸担当の俳句の新しい人たちにも、すぐ馴れ〱しい話し掛けが出来たのは自分が嘗て下手ながら俳句をなめた経験を胸に置いていたからだ。そして筑邨、風雪、深志城、俊一、雪渓さんを知つた。
▽総会は会長の西本一都さんの挨拶、事務報告は渡辺幻魚さん、いずれも知己である。私は来賓として思い出を語り、同じ短詩文学がおのれの進むべき道を求めるのにお互いを知ることがあつていいというようなことをしやべつた。
▽兼題の入選発表、席題「小春」が共選で披講された。成績が順に挙げられ、賞品が授与されていつたが、点数というものにはあまりこだわらないように見えた。
▽終つて信大文理学部東明雅教授の「西鶴と矢数俳諧」の講演があつた。岩波文庫好色五人女」校註者だけに私たちを魅了した。