十一月

▽川柳の友達もあれば飲み友達もある。膝つき合わせ、親身になつて相談に乗る友達もある。友達というものもいくつか種類がありそうだ。いたいけな幼稚園も一緒、小学校と中学校も一緒、そんなのを竹馬の友というのだろう。
▽その一人に内山一也君がある。母校の日本大学に勤めてから幾年になるのだろう。久しく郷里から離れていたのに、小学校の同級会を開いたらうまい具合に帰郷と落ち合つて童顔を思い出させてくれたことがある。
▽私が本誌を発行と聞くや「川柳は詩か」「『蓼喰ふ虫』に於ける潤一郎の趣味性」を書いてくれたのは昭和十二年の初めだつた。私とは違つていまは一草の俳号があり「麓」を主宰しておられる。文理学部の教授で食物文化史など担当しているとか。その内山君が次のような「読者通信」を寄せてくれた。川柳が取り持つ縁の俳人の出会いなんてちよつといい。

  毎号「柳多留輪講」を楽しみ
 にしております。特に礎講がし
 つかりしているのが目立ちます
 が、それよりたま〱閑古翁が
 カンシヤクをおこしたような発
 言をされるのが嬉しいのです。
 閑古翁と云えば、私も大磯の住
 人。あまり大磯駅は利用しませ
 んが、月に一二度大磯駅で乗用
 の時は必ず駅構内の鴫立庵句会
 の短冊を眺めます。つい最近も
 その短冊の中で
  芙蓉垣明治の作家
       こゝに住みし
 という句があり、今もひつそり
 と住んでおられる藤村夫人が偲
 ばれて、いかにも大磯駅構内の
 展示にふさわしいと感じました
 が、さてもう一句
  頬に伝ふ涙の如く星流れ
           鴫立庵
 とあり、これが輪講で他の講者
 をねめまわすような閑古翁の句
 とは意外でした。それこそ、若
 き日の藤村を連想するような句
 ではありませんか。閑古翁には
 未だお目にかかる機会を得ませ
 んが、鴫立庵に御帰庵の節は何
 卒拙宅へもお立ち寄り下さるよ
 うお伝え下さい。私の家は鴫立
 庵から吉田茂邸寄り、八坂神社
 の裏あたりです。