七・八月号

▽うちの子供が私とちがつた事業を始めた。親子共稼ぎである。若いうちは何でもやらせてみるがいいと、親の仕事を手伝わない愚痴を言わさずに、他人は他人らしく私を激励してくれる。いや子供を激励している肚かも知れない。朝は早くからせつせと働きに出掛ける。こんなとき頼もしいと思うがこちらはひとりぽつんと私だけの事業に専念せねばならぬので、その頼もしさを自分にも向けるべく机にかじりつくのである。
▽歳はたしかに取つたと思い、ずる〲老い込んでゆくのは無論のようでいて、そんな向きにもならず働ける気概は自身いじらしく嬉しいのである。夕方、こそ〱と風呂場で焚きつけていると、子供が素晴らしい温水器があるから購入しないかと持ち掛けた。温水器の取扱いも出来るので商売気を出した息子に少し敬意を表したが値段を聞くと何万円もする豪華品た。そばで聞いていた始末屋の女房はすかさず「駄目だ」と賛意を表さないのである。
▽子供も負けてはいない。一日載せておけば、夕方熱くて入れないほど沸くし、背〲くまつて一々火を焚く手間が省けると力説する。毎日そう沸いてくれるのは嬉しいが、追つかけられてるみたいで、温水器に恩を着せられ通しではたまらないとも思つた。
▽すこし夕風の出た裏庭に面しながら、こそ〱とそこらに散らばつた紙屑や印刷の刷りくずしを集めて来て、適当に燃やすと風呂釜は知つていて、せか〱と熱くなつてくれるのである。屋根に温水器が載つていないわけではない。うちのお得意様が広告ちらしの注文で印刷したとき、そのなかから手頃の温水器が特価品で出ていたのを見付け、早速買つて屋根のうえに大の字に臥せておいてある。
▽夏の眞盛り、全くこんな易いのでも結構、ほんの少し紙屑を焚くだけで入浴することが出来るので伜のすゝめる温水器は買えないでいる。
▽近所の子供が遊びに来た。「丁度いい、一緒に入らないか」といつてすゝめ、少し置いて「くらべて見ようか」というと、にやにや笑いながら逃げ失せた。意味が解せたのだろう。