二月

▽信州ほど季節の挨拶が身についているところはないと思うくらい四囲の風物はきびしい。まことに綺麗に山々が雪をいただき、晴れあがり澄みとおつた蒼空がその広さを誇るとき、よくぞ信州にうまれてきたものだとつぶやかせるのは若い頃のこと。あたたかいぬくまる土地を恋いこがれるようになつて来たようだ。
▽「全く広い畑ですね。たくさん菜つ葉がとれるでしよう」「いいえ、これでも茹でればボツチリになつてしまいます」「でも日本アルプスがよく見えて、いい眺めですね。山はいつ見てもいいなあ」「なあに、ああ見えても半分は雪ですよ」
▽こんな笑いばなしがあるが、兎角お世辞を言われると不機嫌になつてしまう。身ぶるいはしないがそれでも美しい山の雪をちよつと横目でもにらみ、よくまあ消えずにいるものだと思うのである。
▽「大へんお寒くなりました。この文では山は雪でしよう」お客があるたびに言うのを聞いて、挨拶というものは、ああいう風にやるんだなと思う。夏になつた或る日のこと、「めつきりお暑くなりました。この分では山は火事でございましよう」
▽落語に出てくるはなしだが、日本アルプスへ行けば夏なお寒き雪がある。火事どころではない。夜になるとぐつと冷える。そこが深山のはげしさというものだろう。
▽炬燵文化といつて、寒いので何かと炬燵にあたつているときが多い。そして議論に春ならぬ話の花を咲かせる。理窟つぽい舌端をとばす。むずかしい話をすれば文化講演会の文化人で長く忘れないというのが信州の変な風潮でもあつたと聞く。
▽きびしい寒気にきたえられていると、質実剛健になつてからだの方の耐久力を養うことになるが、田毎の月の段々畠は名所にはちがいないけれど、いかにも貧しい土地で暮さねばならぬ象徴をまざまざ見ることが出来る。
▽年をとつたひとはどうにもならぬこの土地に愛着を覚えながらも海の見える陽の光のあたたかさにのんびりと生活をしているよその人たちをうらやましがる。