十一月

▽わが愛犬は従順である。前の晩開放されていた自由に感謝したおももちで、私が鎖の音をさせるとしおしおと近付いて来て首うなだれる。そしていつものように自分の朝の出発に観念してくれるのである。首に拘束の時間をゆだねるときのしおらしさよ。
▽そのとき彼女のトイレの余裕を忘れない。広々とした庭に出て、しばしの残り時間を愛しながら、そこはかとなく可愛いゆばりの音を自らもたのしむが如くである。セメントの路地にしたたか粗相をしたあと、ずうーと如露で水を撒いておけば、水に交つて跡形もなく消え失せると思うのは人間の人間らしい智恵であつて、あの含まれた何ものかは獣の抵抗としてなかなか乾こうとしない。排泄物の執念がまざまざと残つていると知つたとき、私は生きとし生けるものの意地がここにあることを思わないわけにはいられない。
▽縁側の下で日和のよいときは、まことに安眠のよすがを得ているようで、進学の勉強に追い立てられている学生にとつては「ああ、私は犬になりたい」と言わせるしのこのこ出て来た彼女のキヨトンとしている瞳にすがろうとする。事実、この犬には勉強の時間はなく、昏々と眠り、あやしい物音のときだけ目が覚まされ、声を立てるように物おじする習性につまされているのである。
▽学者犬というのがあつて、サーカスのときに出張する犬は、数字と数字を加えていくつと訊かれると、その解答の数字を正しくくわえてくるのだが、私のところの彼女は天衣無縫で、たとえ隣近所のおかみさん連中が物の配分の銭勘定に頭のめぐりのわるさをちらつかせていても、知らん顔で、顔馴染みだけを頼りに吠えもせず、頬を割烹着にすりつけるのが関の山である。「おうちの犬も算術が出来るといいのだが」としみじみつぶやかせるのである。
▽表の路地の戸を締めて、外に出られぬようにして、夕方、私は鎖を解いてやる。身をもだえるようにしてせがむ。鎖から解かれるとすぐには一方に飛んでゆかず、感謝の気持を示すために、一時は躊躇を置き、にこやかに微笑を私に呉れるのである。