九月

▽徐行しながら列車が青森駅の終着を告げるとき、プラツトホームに手を振りながら会釈してくれる人を見付けた。工藤甲吉さんだと思つた。迎えてくれたのである。聞いてはいたが成程長いプラツトホーム。でも東京駅の拡張でつい先頃その長さを越されたそうな。
▽松丘保養園の青葉香歩、茅部ゆきを君が是非会いたいということだつたので、甲吉さんの案内で出向いた。北柳吟社の人達がかしこまつて待つていてくれた。遠く来て、この療養の友だちの前で乞われるままに二十分ほど話をし、別れるとき、もう会えないような気がして振り返りながら桜並木を抜け、自分の達者な身体が申しわけないように思つた。
▽海沿いのところに浅虫温泉はあつた。島が近くに見え、こしらえた鳥居の朱の色が鮮かだつた。ご厄介になるここのおばさんが話好きで、郷里は群馬県であることや嫁入つた娘のことが出た。私はどこへも出ず、温泉にゆつくり入りみちのくの第一夜を眠つた。
▽翌九月一日、東奥日報社に招かれた私は青森県下川柳大会が開催される青森市民会館に出席した。演題通り「風土と川柳」を一時間話した。もともと話下手な自分だが、話題にはこと欠かさぬつもりだつた。
▽青森といえばすぐに思い出す人は逝くなつた川柳作家小林不浪人さんであり、青森放送テレビにいる版画家佐藤米次郎さんである。そこから話の糸口を見つけ、錦木の古俗に及び、果ては太宰治石坂洋次郎にからみ、風土の真実性を決めた。
▽心ある人たちが開いてくれた懇親会でもゆくりなく語つたが、ホテルでは黙つて新潟出身のホステスの身上話の聞き相手となつてやつた。第二夜である。
▽二日は雨であつた。同行して下さつた甲吉さんらの案内で十和田湖へ駆つた。八甲田山のあたり、美カ原に似てハツとした。駿ガ湯で貰つたマツチは棟方志功さんの筆だ。そつとポケツトに入れた。
▽雨で十和田湖は煙つている。迂回しながらだんだん遠去かつてゆく。帰りは岩木山の暮れなずむ姿を見た。みちのくとの別れにはいい印象であつた。