七月

▽大阪へ行くのである。せかせかと松本駅を発つとき、きようは日本アルプスが曇つていた。木曽路を過ぎるとき、しみじみとしたおももちで雨が煙つて来た。ひとりの旅人を感じた。
▽車中、「番傘」七月号を読む。「苦楽帖」で岸本水府さんが(私の肉筆句集)の書債に、しんみりとした打ち明けばなしをしてくれた。私は有卦に入つていたのが、昭和二十二年一月七日の署名で、トビラの椿の絵も美しく、もう手に入れてある。ありがたい。一句一句を丹念に個性をたつぷりふくんだ墨香だから、大変なお仕事であることはたしかである。自慢にして私は柳人にお見せする。
▽七月六日その夕方、大阪駅に着いたとき、型の如く駅員に東出口を訊ねたが、横柄で全く度胆をぬかれた。?人には親切”それを自分で鵜呑みにしてすごすご。
▽駅で橋本緑雨さんが待つていてくれた。予ねて目印にしておいたハンチングをかぶつている。おつむの禿げをかくしていることはとやかく言うまいと思う。大都会の炎熱がかっかっとむしつけてくるなかを、私の所望の角座に赴く。
▽法善寺横丁の「上燗屋」の句碑に逢つたり、宗右衛門町の「都会から」の句碑にぶつかるのも大阪ならではと思うのだ。大阪はエエところでおますな。下手な難波ことばを許し給え。
▽角座ではラジオやテレビで知つていた人たちが熱演していた。いいことに桂枝太郎さんが東京落語をやつていたので、刺を通じて楽屋にのこのこ出掛けると、快く逢つてくれ、道頓堀の灯が見えない密室みたいなところで、出してくれたお茶がうまかつた。桂枝太郎名入れの手拭をせしめて戻るの図はわれながらゴキゲンだ。
▽七月七日は川柳雑誌川柳まつりである。難波の北極星というちよつとしたかまえを入ると、待つていてくれた麻生路郎さんが笑顔で迎えてくれる。
▽気負つたつもりは毛頭なく席題選を受け持つ。選をしている間を岡本良一氏の「大阪城の話」がつづく。これがすこぶる途中だが嬉しかつた。知己の大阪市大の原田伴彦さんの「木曽・信濃路の魅力」に出て来る人物だつたから。