一月

▽「柳多留初篇輪講」が本誌に発表されるに及んで、反響が大きいことを知つた。学問の対象としても、また読みに堪え得る力を持つた古川柳という古典が広く重じられ、これに愛着を感じている人たちの多いことがじかにわかつた。
▽それだけに現代川柳の評価の高くありたいことも痛感される。それにはやはり孜々として倦まない作句意慾の盛りあがりだ。一筋道だ。信念を持つことだ。現代川柳はこうだと見せる場はほしい。
▽古川柳はかかるムードを持つていた、こういう約束があつたのだとふりかえることもよかろう。現代句は古川柳のままに執着すべきではあるまい。どこを残し、どこを生かすかにある。
▽それに結びつけるのではないけれど、思いきつて「古川柳信濃めぐり」を連載することにした。このきつかけは昨年朝日新聞に頼まれた県版に執筆したものを稿を改めアレンジしようと考えたからだ。五月から九月まで連載された。一年間続けるつもりだつたが、交替の時期に廻り合わせ中断した。
▽「信濃めぐり」だから信州が背景である。歴史・人物・旧蹟・伝説・名物・方言に関したものは勿論、ひつかかりをつけた句も登場する。句が材料になつて伝説を語らせるといつた具合に、純然たる信濃句でないものも忽然とあらわれる。
▽いきなり古くさい故事をしかつめらしく紹介すると思えば、ペダンチツクに信州人の批判も出ようし、観光にも役立たせるといつた風に、川柳はここでいいサカナになつて貰うことになろう。
▽句にあらわれたままにし、旧暦だ、新暦だとことわらないから時期的にとまどいしよう。現在の行事が出たり、古い習慣も出たり、昔が顔を出したり、近代人があしらわれたり、まことに妙なバランエチーに富もう。
▽しかし本人はいたつて真面目に右往左往して資料を見つけ、知つたかぶりの田舎者をさらけ出すことになる。
▽母袋未知庵君が生きていたら、さぞかし盃をかたむけつつ、目をぎよろつかせて苦笑か。