十・十一月

▽九月廿九日、朝発つときに同じ東京へ行く近所の娘さんと一緒だつた。私だ弁当を食べているとよく気がついてお茶を買つてくれたり、週刊誌を代り合つて読ませて貰つた。東京に移り住んだ姉さんのところへ行くのだそうな。
▽案の定、新宿駅の出口に渡辺蓮夫君が待つていてくれ、ハイヤー慈恵大学病院へ一路走つた。この夏、新婚の奥さんを連れて美ヶ原に来たとき、私の家にも泊つて下さつた。そんな話も出た。
▽川上三太郎さんは臥ている割合に元気であつた。どちらが見舞に来たのかとあやしむほどに、病院の方がよく喋つた。この分ならまもなく退院だろう、そう思つた。果して十月三十日に約八十五日振りでわが家に戻られ、ほつとしたことだつたろう。
▽そのとき、私の土地に近い木崎湖のことをなつかしみ、一度行きたい、夏期大学講座の開かれることを知つていると、案外くわしかつた。私は帰郷してから美しい木崎湖の絵はがきを送り、足腰に自信がついたらご案内すると申し上げた。
▽病院を出て、近くだつたので南佐久間町の高須【あ・口に亜】三味さん宅に寄つたところ、生憎留守だつた。あとは落着こうと思い、西巣鴨の姉の家でくつろいだ。
▽翌日、鷺ノ宮の阿部佐保蘭君の家に赴いた。如才のない応待だ。娘さんが木崎湖近い大町市昭和電工の技術者に嫁いでおられ、初孫の顔を見、その声をとろうとテープレコーダーを持参した道すがらこの夏、私の家に立ち寄つたことがあつた。
▽電話を掛けるとまもなく新橋の伊藤瑤天さんが見えた。例により娯楽川柳、売れる川柳の気焔をあげた。先年、瑤天さんに連れられ、日本観光新聞の編集会議を見たことがある。そのとき、漫画家の松下井知夫画伯と初対面、ペンだこがひどく印象的だつたことを覚えている。
台東区松葉町会館で「新東京」創刊六周年記念オール関東川柳大会に選者として出席「山男」を選んだ。非常に盛会だつた。夜汽車に乗るまで岡田甫さんと佐保蘭君と三人で新宿界隈をぶらついた。