八月

▽水を撒いていると、ひよつとした拍子に、通り掛りの武士に粗相をする。「無礼者め」といつて、矢庭に刀の柄に手をかける。あわやと思うとき、奇特な人があらわれて、傍若無人の武士をやツとばかり取つて投げ、みせしめのために急所を突くと、へな〱と崩れゆく。「あぶないところをありがごうございました。ご恩は一生忘れません」と丁寧に頭を下げてからもたげ相手を見ると美男、こちらも美女、ただではおけぬお古いロマンス。
▽乗りもので混雑中、よろ〱よろけた途端、誰かの足を踏む。すまないが、こんなときはお互いさまだと何の気もなく降車すると、後からついてくる者がある。「人の足を踏んで黙つているとはけしからぬ」思わぬ抗辧たじ〲。
▽ちらつと人の顔を見るときがある。そして視線が合う。あとでつか〱と歩いて来て「何で俺の顔を見た」
▽こういう輩はきまつたように何かをたくらんでゆするのである。私も初めてこれに似た経験をつい最近嘗めたばかりだ。いきさつはこういうことになる。
▽駄犬だが、飼い馴れると可愛い奴で、わが家にとつては愛犬。私が朝、例のごとく水を撒き、そして掃いていると、近所の犬と一しよに吠えている。道を通る人に吠えるというのは滅多にないが、困つたことだとよく見ると、ここのものではなく旅にん。
▽吠えられてこわがるどころか追いまくつている。追いまくられると犬はこわがつて一層吠える。やつと犬が自分の家の路地に逃げ込んだところ、そのあとをつけて人の家に侵入するけはい。
▽えらい奴に吠えたものだ。これは早くあやまるにこしたことはないと、丁寧に「すまなかつた、いつも鎖でつないでおくのに、今朝に限つて解けてしまつた」と言いわけがましくあやまつたが、なか〱承知しない。「俺の顔の人相が悪いのか」犬に聞けばよいのにこちらに聞いたつて答えようがない。したゝか酔つているのだ。
▽四十分もねばられ、ややゆすりめいた来たので交番に電話をし連れて行つて貰つた。あとで聞くと乱暴、留置所行きとのこと。