七月

▽朝起きたとき、また工場のものが帰つたあとの夕方、きまつたように路地を掃除する。水をまいて箒で掃くだけである。
▽それはいたつて几帳面のようで変哲もない日常性というものであろう。こんな余技があるんだなどと見せびらかす気持はなく、惰性に似たしぐさと思つている。
▽そうしないと、何かおちつかぬし、歯がぬけたようなわびしさを感ずると自分で知つていて、缼かさないのである。割り方、馬鹿正直だし、習性にこびていることになりそう。
▽如露で水をまく。もうくたびれ老いぼれだ。だからあちこち洩れるのである。しかたがないので、布でところどころ巻いてある。ぶざまだ。ひとつおこたつていいところを見せればよいのに、執拗にそれで我慢している。変屈な物臭さなのである。
▽如露の長い首のところが問題で満身創痍というほどではないが、傾けると出るべきところに出てくれなくて、気が早い水がチビチビと先を争つて、これがまた私の脚元を濡らして困る。
▽だからそのあたりに腰布を巻いてやるのである。無風流で艶つぽい色は好まない。白いあいつだから、枠は利かぬ。
▽そのうちにひよつくり如露の先の朝顔がたの先つぽが脱けてジヤー〱と来た。いやはやである。それでも首をひねらせてはめてやると一時は保つ。ところが人通りの往来に水をまくときに限つて、すつぽり首がぬけてあわてる。うちだけの路地なら気が楽だが、衆人環視といわないまでも通り掛りの人の目につくと、何とも体裁がわるく、矢庭に落ちた首をひんやりと拾う。ワカツチヤいないなと老いこけた如露をもたげていち早く家へ入る。
▽夏の夕げしき、かどへ水をうつていると、よい年増がシヤナリシヤナリと来るので打ちかかつた手桶を左へふり廻し、まかんとするとそこへ綺麗な娘が来かかる。これへも掛つてはと、こちらへふりむけば、としまが間近く来る。しかたなしに手桶をさしあげて、自分の頭からざつぷり。
▽江戸小咄のような素頓狂にはまだなれぬが、その気持は買える。