六月

▽かつしかの川柳人といえば、大森不及さんがすぐ思い浮かべられる。それほどかつしかの風物を属目してつくられた。その殆んどは「川柳研究」に発表している。
▽それでも「しなの」にも投じてくれた。そして句評にとりあげて特異な句風、真似られぬ技法を指摘されたのだつた。
▽私は逢つたことがなく、割合に小さい、こまごました筆蹟だけを知つているに過ぎなかつた。でもよく旅からお使いをいただいた。宗教劇で旅を廻り廻り、おちつくまもなく家を出るとのこと、信州へはどうも行く機会がなく、いま北陸地方にいるという旅宿からのお手紙を貰つたことがあつた。
 親鸞門徒トボトボ二里余り
 親鸞劇舞台に白いおさいせん
 親鸞劇珠数爺の掌に婆の掌に
 親鸞劇今日は田ン圃も早仕舞ひ
 親鸞劇お婆うとうと有難し
▽恐らく旅さきざきの実感であつたろう。そして苦しいこと、悲しいこと、嬉しかつたことも伴れ立つて旅ゆく身のいじらしさを覚えておられたことだろう。
▽季節感のあふれた即物的な詠法にたくみで、平仮名だけの音律に口ずさまれる詩情が流れていた。俳句でないかとも思われるものもないではなかつたが、私はつとめて私なりに截別し選をした。作者としては或いは物足りなかつたかも知れない。
 かつしかの はちまんさまの
 うゑきいち
 かつしかは とうふやのせに
 たそがれて
 かつしかに けむりちひさき
 ひるはなび
▽いままでの旅から旅への生活をやめて「百味」というPR雑誌の編集に専念するようになつたのは昨春だつた。請われるままに私も手助けして執筆、またこの「山々の顔」」が気に入られ転載していただいたことがあつた。
▽ところが十月末に臥床、そして併発の憂き目にもあつて、この四月三日に逝くなられた。私は妙に親しくしている人と一度も逢わずに先立たれる。正岡容さんもそのひとりだつた。
 秋の水流れる逃げてゆくごとく
 秋の笛遊女を詠める琴唄に
▽さびしい音は私の胸にひびく。