九月

▽おうちは変りものだからといつて庄助下駄をいただいた。ここでことわつておくが、私は変りものだと言われるほどの奇癖や奇行があるわけではない。逆立ちして煎餅を喰つて見せる芸当も出来なければ、ろくすつぽ林檎の皮も切れないのである。よくよくの不器用に出来ている。でもそれが普通人と違つたところで変りものだと目されるのかと考えたり、十七文字を並べる川柳作りのひととしてそう思われるのかも知れないと考えたりするのである。
▽変りものだと言われて、そうむきになるほど、心がまえが出来ていないし、くだけたつもりで素知らぬ顔をして見せる。まず、私はそんなところだ。貰つた庄助下駄だが、正直のところこちらは変りものでなくて、下駄の方が変りものでなくては困る。
西鶴の日本永代蔵あたりに出て来そうな始末屋にはちと不似合いである。第一、長持ちするためにたまたま右と左を履き代えることは体裁上出来そうもないしろものであるからだ。
▽真ン丸い材料を真つぷたつに截断して、それにひとつずつ緒を据えた恰好の下駄で、わりと大きい「庄」「助」の焼印が押され、きちんと揃えると、なるほどこれは庄助下駄だなあと、ぐつとやにさがることが出来るようになつているのである。
▽まことに風変りで面白いからよく履きこなしたが、まだまだ外出するときの愛用品にするまでには私の心臓が弱いようである。奥の座敷にあがる踏石に常時置いてあるから、気が楽でちよいちよい使われ、私専用というわけでなく、活用範囲は広いだけまことに気安いのである。
▽富永次郎の日本の菓子を読んでいたら庄助豆、庄助餅という菓子の紹介が出ているのに気付いた。オハラ庄助菓子舗、会津若松市針屋名子屋町発売とある。このほかに庄助饅頭もあるそうだ。
▽この庄助下駄も民謡の会津磐梯山に伝承のうたごころをかきたてられてお土産に買つて来たものだろう。むやみにけなすことはないのである。ナゼシンシヨウツブシタは唄にまかせて下駄の方はまだまだ減りそうもない。