七月

▽刑事が来た。少しばかり見張らせてくれと言う。真向いの銀行でよく自転車の盗難があるので、犯人をさがし出したい、こゝなら丁度具合いがよいとはつきり打ち明ける。なるほど銀行の玄関の自転車置場を斜向いに眺められる。鍵を掛けてないオトリの自転車を置き去りにしてこちらは虎視眈々というところだ。
▽私の家の玄関からあまり身を乗り出さない程度で、見張つている時間が長びき、その根気のほども察せられるので、椅子をひとつ貸してあげた。半日居たがとう〱犯人らしきものをつかまえることが出来ず、すご〲刑事はあきらめて帰つて行つた。「こういう時に限つてやつて来ないんだな」そう呟きながら腕を撫した。
▽こんなことを聞いた。自転車がなくなつた。しまつた、とう〱やられたかと半ば残念がつて口惜しがつたがどうにもならない。どうせ古臭くなつたから仕方がないと、あつさり諦めていたら警察署から電話が掛つて来て、駅前の自転車預り所にあなたの所有のものがあるから、取りに行つてくれと言う。不思議なことがあるものだと思つて半信半疑でそこへ行つて見たら、間違いなくうちのものである。預り料を支払つてくれとそこの主人はぶつきら棒に言い放す。一日いくらと勘定しても今日で三日、しかたなく支払つて、自分で預かつたつもりのない自転車を引つ張り出しながら、これはどうしたことかと思う。
▽通説では、汽車で通勤している人が少し晩くなつてどうしてもこの列車に飛び込まねば家に戻れないとわかるとあくせく駅まで走つてゆく道すがら、悪いと思いつつも、鍵のかゝらない自転車を見付けた途端、矢庭に飛び乗つて間に合つたと感付くと、近くの自転車預り所に所有者らしき装つて預けその足で列車に素知らぬ顔で乗るのだそうな。
▽こんなことを話す人がいた。警察署に盗難届を出しておいたら、一ヶ月経って、見付かつた、引き取りに来てくれ。やれ嬉しや、忝けなやと小躍りしながら出掛けると市街からずつと離れた池まで連れられ、錆ですつかりやられたわが自転車が放り出されていた。