五月

▽飼い犬はそこの主人の性質をそつくりだと言う。とすると私ンところの犬は、何かおちつかなく、こせこせして尾を垂れつぱなしだ。なるほど自分のはしたない日常性をのぞかれているようである。
▽変なところで強がつて見せ、ほんとうは弱いんだが、それらしく表情をおしかくしているような風があつたりして、鎖につながれてゆく大きいよその犬に向つて私の犬はしきりに吠えるのである。
▽めす犬だから時期がめぐりくる頃に発情を享け入れ、姙むのでその出産のあと始末が大変だ。はじめは貰い手がたくさんあつて、それぞれ片が付いて行つたが、度重なると同じ人がいい返事をしてくれるものではないことを知つているので、これはと思うひとをさがさねばならない。
▽そもそもこの犬を持つて来た人は川柳をたしなむ同じ道の方だがいい草を今も覚えている。「とても可愛くて。とてもやさしい犬なんだ、めすだよ、めすで強いのなんて聞いたことがない」こう納得攻めで置いて行つた。なるほどころころして、じやれついて、適当に鳴いて見せ、頃合いに甘えて、まことにもつて可愛いく、そしてまたやさしい。あとで考えたことだが、可愛いく、やさしいことは小さいうちはおすだつて同じだと言う真実だつたが、そのときは無性に可愛いく、やさしかつた。
▽責任をなすりつけるつもりはないが、おめでたが近付くと、必ずこの世話人慶事を伝え、その処分方法の一端を強要することにきめている。めすのやさしさを押しつけた手前、彼氏もむげにことわることはしない。犬好き同志と言つたところで、「よし来た」とばかり貰い手を物色してくれるのである。
▽ところで一匹、二匹と言う人間誕生と違い、必ずといつていいほど三つ児以上の多産だ。世話人だけの口聞きだけではとても捌ききれるものではない。いい考えが浮んで、近頃では来付けの屑買いになにがしの金子で捨子することにきめた。ところがいくつも入れた箱がこちらの名入れだつたことを忘れ、数時間も経ぬのに近所の子供たちにワツシヨイ〱でかつぎこまれて閉口したことがあつた。