十一月

▽気まゝに好きな旅の出来ぬ現在では、余程の理由でもない限り、なか〱家から放れられぬ。どうしてこう縛られているのか、どうしてこうこせ〱せねばならぬのかと、ふと一日をふりかえることもある。だが丈夫で何よりではないかと、いゝ方へ向けて自分をなぐさめるのである。
▽誰でも同じようにいそがしいのであろう。暇をぬすんで、またはこしらえて自分の息抜く場所を求めてゆく。かゝずらわしいことを忘れ、そのときだけでもせめていろ〱の雑事からのがれて気晴らしをするのである。敢えてこれを旅に向けなくとも、身を置くところはあるものである。
▽大きく考えれば人生の旅なのだと思う。環境や性格がちがつているから、人それ〲の持ち味で歩いてゆく。息切れのするときもあり、鳥の声の湧く蒼空を仰ぐときもあつて、たのしむ心掛けがあればあるほど、この世の旅はまことに素晴しいものである。短くもあり、また長くもあろう。手の届くところに花が咲き泉があふれ、目の見えるところに月が浮び蜻蛉が飛ぶ。そんないゝ条件のときばかりではない。
▽丁度いゝ条件がかなつて、人生の旅のうち、ほんとうの旅をすることが出来た。それは東北地方への旅である。かねてから東北川柳大会に出席するようにとの仙台の川柳宮城野社からの招きで思いきつて十月七日東京廻りで出掛けた
▽なか〱行き届いていて、仙台駅の新藤孝太郎さんが前以て時間の打ち合せをしてくれたので助かつた。仙台駅では同人の方々が社旗をもつて出迎えてくれ、初対面だが頼もしい顔ばかりであつた。私の無理を聞いてハイヤーを飛ばし、松島や瑞巌寺を見たことは大きな收穫であつた。瑞巌寺の奥深いたゝずまいが雲水の修行にふさわしい印象を深くした。
▽九日、河北新報社で予想外の出席者を容れて盛会であつた。川上三太郎さんを始め田中才六さん、小松酔雨さんもいた。初めて逢いそしてそれが最後となつた宮城野社主宰の浜夢助さんの温容をなつかしみまた悼んだ。感慨こもつた旅であつた。