九、十月

▽大方の寄進を仰いで阪井久良伎筆になる初代川柳の句碑が龍宝寺に再建されたのはつい先頃のことである。私もその除幕式に出掛けたが、東京の作家のほかにも全国から大勢集まり、先進の遺業を継ぐべく期し合つたことだつた。
▽此頃は全国あちこち現代作家の川柳句碑の建立の催しがあつてたのもしい。わが信州には詩歌のほまれ高く、古いものから新しいものとなか〱豊かで、探訪にまた拓本に来る人のよき巣ともなつている。ところで川柳句碑は僅かに花岡百樹のものが金子呑風さんらのお骨折りで上田市内のお寺の境内に建てられているくらいでさびしい現状である。
▽今度、山ノ内町湯田中に住んでおられる中島紫痴郎さんの句碑がわが長野県川柳団の名のもとで建てられることになつた。これは今年、松本で開かれた第十四回長野県川柳大会の懇談会のときに約束されたものであるが、私たちが 痴郎さんを大先輩と仰ぐ気持の披瀝として賛同をひとつに結んだことになるのである。
▽紫痴郎さんは八十歳、お元気に医師として毎日いそしんでおられる。時間を限つて、そのあとはほど近い小高い山の傍らに建てた無心庵という自ら名付けた閑居に悠々としてわが膝を休ませている。
▽こゝで翁と語るとき話題は滾々として盡きない。山は目睫の間に迫る。四季のたゝずまいは勿論のこと、時々刻々として山は色を同じくせず、その移り変りのめでたさはわが目をまた心を如何ばかりたのしませてくれるか、海ではとても退屈してしまうだろうからその比ではないとおつしやる。
▽紫痴郎さんは新潟県出身。長く信州に住んで、あまり越後のことは語らない。良寛のことくらいである。若くして明治末年の新川柳開拓のために志し、「矢車」を発行して知られ、信州へ来てからは「湯の村」の、小粒ながらユニークな内容と発剌たる主張でうならせたものである。
▽十一月九日地鎮祭が行われる。私は喜んでゆくつもりである。長野県の作家ばかりでなく全国の知友からも協力を願つてやまぬ。一口二百円。長野県中野市中町・奥しなの川柳社宛のこと。