四月

▽通巻二〇〇号に達した本誌はその記念号を計画してはという同人間の意見があつたが、兎角遅刊勝ち、季節的なズレで変調子を来たしているので、儀礼的な文句を入れた記念号の体裁ではうんざりするから、二〇〇号もいつもの通り見過ごそうではないかということで話しがまとまつた。
▽それにしてもよくこれまで来たと思つたり、愛読者があるからだと感謝したりする。前にくらべると雑詠の投稿家は少くなり、それだけ精鋭作家が糾合することにもなるが、本誌の性格を知つている同志であるのがたのもしい。よく雑詠に投じてくれたひとが此頃さつぱり姿を見せなくなつたと思つたら、僚誌の雑詠にうつつて活躍しているのを見つけると、懐旧の念にかられてほつとしたり、がつかりしたりして妙な感じが与えられることがある。
▽本誌だけが柳誌ではないし、どこの僚誌に顔を見せようが自由であるけれど、ひがむわけでなしにあゝもといたことのある作家だつたなあとつぶやくのである。
▽思えば川柳をつくらない人から格別なる声援をおくつてくれるので張り合いだ。作家の楠田匡介さん、版画家の川上澄生さん、漫画家で民俗研究の宮尾しげをさんたちは本誌が送られた返事をよこすが几帳面で恐縮する。
▽物知り博士の日置昌一さんを訪問してゆつくり話したことがあるが、このひとの手紙は巻がみで墨を使つてくる。必ずといつてよいほど何か淡彩な絵がついていて、一番面白いことは手紙の最後にハイサヨウナラとあるところだ。うれしい文句ではないか。手紙といえば逝くなつた食満南北さんの長い巻がみは大切にしているし、また棟方志功さんのも大事がつている。じかに来る肌合いがある。
▽微恙で臥ている高鷺亜鈍さんからたよりがあつた。「貴兄の巻頭句、毎度ながら推敲のたりた珠玉揃いと存じましたが、殊に最後の句は生まに出ている故に却つて強く衝つものあり、このように不用意につぶやいた言葉に真実がこもるのでしよう。
  このうたのはげしくもまた短かかれ    」
愈々切磋琢磨しなければならぬ。