三月

前田雀郎氏追善川柳大会が三月十三日にあることを知らされたので出席するべく前日上京した。一月三十一日が葬儀だつたが、何分にも月末で商売の方では身がはなせないため、せめて追善川柳大会には出掛けようと思つていた。
▽夕方着いた。姉の家に落ち着く前に山村祐氏のお宅にお邪魔したところ、いゝことに居て下さつて暫らく話した。ちがつた詩論で現代の川柳をうちたてる信念に溢れる祐さんは得難い人のように思われ、進むべき道はまつすぐだが、また他のひとの道のよりどころを常に慮つていることを知つた。あくまで十七音律を守り視点が鞏固な先覚のほんとうのねらいや自信の披瀝を聞き書きしたいという態度であられた。うれしいことを聞くものかなと私はひとり胸のなかに置いて祐さんの顔を見た。
▽山村宅を辞してほんの百歩近いところに宮尾しげを氏の家があつた。門がとざされていた。ベルを押して待つていたら久し振りに見る宮尾さんがおやという顔をして出て来た。敬意を表するという軽い気持を伝えて姉の家にいつた。
日本経済新聞社ホールは三階にあつた。雀郎さんの遺影が壇上に飾られていた。こゝが追善川柳大会会場である。百人を越えた出席者であつた。思わぬ人に逢えたり久闊を叙すひともあらわれてくれた。阿部佐保蘭氏とは全く久し振りであつた。学生作家篠崎堅太郎君にも逢えた。
▽大会終了後、丹若会ゆかりの今半で懇親会がある筈であつたが、先約があることを大木笛我氏に申し伝えて帰ろうとしたところ高須啞三昧氏が石原青龍刀氏と三十分ほどどうだと言われ一緒に行くことにし、塚越迷亭氏、土橋芳浪氏もつき合つてくれ、暫時たのしい話をした。そこの喫茶店で岡田甫氏に電話を掛け、新宿で待ち合せる場所に行つた。啞三昧さんは案内役のかたちになり一緒に甫さんと鼎談となつた。芥川龍之介小学生全集の経緯のことに詳わしい啞三昧さんの話は初めて聞いた甫さんは詩に関する発行所に勤めていたことも話された。古川柳は古典で愛惜すべきものと私は言つた。酔余の私を乗せた夜行列車は信濃路の夜明けへ走つた。