十二月

△なかなか旅の出来ないからだで行きたいところもあるのだが、口あんぐりして暮らしにかまけている。この晩秋、町のものたちで伊豆へ行こうではないかと話がまとまり、思いきつて出掛けることにした。小人数でうまが合つた。
▽松本から新宿、そして東京駅に始発をとらえ、しばらくして横浜駅シウマイ弁当をこぞつて買つた。からしの入つた器、ソースの入つた器は捨てないで、ただ何となく持ち帰ることにした。小さいがこじんまりして蒐集にはもつてこいだ。手を拭く薬の小袋も気に入つた。
▽伊東からバス。初めは有料道路とやらで快適だつたが、まもなく普通の道となつて悩まされる。ここは静岡県天城山の容姿は山々に馴れている目にも印象深く映つた。熱川温泉は気候温和、海沿いの地を占め、また来てもよいところだと思う。
下田港が近付いた。古つくさい狭い町並みである。黒船をくつきりと陸近く海のほとりに置く。唐人お吉のものがたり。玉泉寺を強制的にお詣りさせるバスの周遊も観光の手並みだが、したたか面喰らう。陰陽のコレクシヨンを見せる了仙寺にほど近い見世物はさして感動を私に与えなかつた。
▽道をそれて石廊崎に向う。景観の素晴らしい海がひろびろとひろがつていた。このとき私は熊沢石廊君を思い出した。本誌にこよなき評論を孜々として寄せた君であつたけれど、下田第一高校の先生で遠足のとき奇禍に遭つてあえなくなつた人であつた。たしかな川柳評論家の少い柳界にとつて惜しい論客であつたのに。
修善寺温泉に泊つた。翌日、三島に出た。それから江の島に久し振りに寄つた。エスカレターに乗つて山を登る。稲村ヶ崎七里ヶ浜を通り鎌倉大仏長谷観音をへめぐつた。鶴岡八幡宮の参道を歩いたとき、綿谷雪さんはここらあたりだなと思つた。骨董屋があちこち目につき、外人を乗せた人力車がたのしそうに動いていた。
▽列車で大磯を通るときは学友内山一也君を思い、茅ヶ崎を通るときは斎藤昌三さんを思つた。すまないね、ごめんよと心の中でつぶやいて通り過ぎた。もう少し暇がほしいとこの旅でも術懐させた。