十一月

▽番傘十二月号の編集メモはいち早く国文学解釈と鑑賞十二月号をとらえ、(江戸生活第一集として川柳が特集されているが、鑑賞というよりもむしろ文献としての価値をねらつているし、やむを得ない事ながらいさゝか低俗な句があるのが残念。第二集はどんな角度から川柳を特集してくれるのか、今後を期待している)といつた意味のことがしるされている。これにつゞけて(又現代川柳結社一覧には、六十社の吟社が紹介されていて、その特徴をそれぞれ維持派弾力派、特異派と区別しているのも、従来の伝統、革新というより変つた感じがする)と感想を述べておられた。
▽こうした雑誌にとりあげられるときは、きまつて古句研究にとゞまつているし、また鑑賞ということでなしに、分類的な方向に持つてゆき、当時の生活資料を展開するに過ぎない傾向がある。それだけ古川柳には研究すべきことが残されていることを意味するのだが望むべくは古句のみでなしに現代川柳のありかたとか求め方といつた記事も載せてくれたらと思うのは私ひとりだけではあるまい。
▽そうした古句研究のなかに割り込むようにして、私の書いた「現代川柳結社一覧」がちよつぴり頭をもたげているのである。従来の吟社紹介では僚誌がその在所と社名と誌代などを取り上げておられたようだつたが、一般の人に向つて紹介する意図のもとに企画したものはあまり見かけなかつたと思う。私が一番苦心したのは吟社の全貌を四十字以内につゞめることと、大局的な立場でその雑誌の傾向をどのような分類的名称で区別するかであつた。もともと区別の方法として伝統と革新の截別があるが、私はこの言葉に倦き足らぬものを考えていたので、維持派、弾力派、特異派の三つに凝縮した多くの批判を仰ぎたい。
▽川柳研究の三浦三郎さんから手紙が来た。現代川柳結社一覧を読んで感激した、洵によい記録と仕事をして呉れたものと感謝しているということであつた。その返事に、広場として考えたときまだまだわが川柳は古句より劣勢であることを伝え、今後の努力が望まれると私は書いた。