四月

▽こんな山国でも遠いところから川柳家が訪ねてくれる。九州からも北海道からも来た。やあ〱である。名前は予ねて知つていた人ならおやこの人かと思つたり、先方でとうの昔知つていてわざ〱会いに来たのだという殊勝な人がある。一列車を遅らせてほんの二三時間語る人、なんだかんだで時間が経過して泊る人など。
▽こちらの句会に出席したいという日程で顔を見せる県外の人がちよい〱ある。みどりの佐藤青旗さん、せんばの岩本具里院さん、東京都の長谷佳宝さん、伊古田伊太古さん、横山三星子さん、白帆の今村緑泉さん、天馬の宮田あきらさんは一しよに句を作り、また選者にもなつていたゞいた。披講のとき聞き馴れぬ訛で耳をこそぐられてたのしい。これも同じ川柳家の一得である。
▽本号に私が書いた品川陣居さんもしなの川柳社の支部のようなかたちで顔触れは同じいやまなみ句会に出席してもらい、席題選者で句を選んでくれたことがある。もう九年も前のことである。私が東京に出掛ける機会は大抵川柳のことにかゝわりあいがあるが、一昨年五月五日の白帆創立十周年謝恩大会に招かれ品川浴場会館で賑々しく催されたとき、陣居さんは席題の選を頼まれていた。大会が終つてから懇親会があり、私も夜行列車に間に合うまでみんなと話合つた。川上三太郎さんと陣居さんがお互いの齢のことや昔の思い出を大きな声でやりとりしていた。既に酒が私たちのからだをめぐつていた。
▽品川駅から私は陣居さんと一しよに乗つた。もとは強かつたという話だつたが、大分酔つており、東京廻りと横浜廻りを間違えて一駅過ぎてから「やあ〱これは失礼」と乗り変えた。これが私と陣居さんとの最後の別れとなつた。
▽私は陣居さんが書いた短冊の
 あさがほのたねと書いたる
 母はなし
を大切にしている。孤独な人だつたから母への慕情は人一倍であつたろう。古い年賀状に
    母への回想
 淡雪に母ふるふとの夢いくつ
も忘れられない。陣居さんの句といえば妙に母の句に印象が深い。