十二月

▽亥の歳に入らうとする少し前、まだ私達の歳であるとばかり犬が子を産んだ。奇しくも二十四日夜か二十五日未明である。よく考へて見たらクリスマスであつた。
聖歌隊が毎年近所の信者の家の前で歌つてゆくが、なか〱いゝものである。雪がちら〱するやうな空合ひを炬燵のなかで思ひ浮べながら、聖歌隊の合唱が澄んだ大気に吸はれ、よどみなく家々に届く夜の静けさは信者でなくとも感慨を覚える。
▽そんな夜にわが愛犬は子を産んだのである。彼等と彼女たちこそキリストにあやかつての誕生だと家の者たちの話題になつた。ぢつと母親の乳を吸つてゐる。
▽この前の出産は縁の下にもぐりこんで、人の目にふれないやうにして産んだ。これを陽の目に出すまでが大変だつた。廊下の板をはがしてやつとこさ、親の居ないときを見計らつてひとつづゝ出したのであつた。まだ目が開いてゐなかつた。貰ひ手がきまつてをらずもう少し大きくしてからでも遅くはあるまいと暫らく置いて見た。だん〱大きくなり、親の後を追ひながらチヨコ〱歩く時分になると可愛く、あの小さなお尻を少し振り動かせながら、馴れない歩きやうがとてもよかつた。自分が戌の歳のせいゐか、犬が好きなのかといつも思ふ。
▽犬を可愛がる人もあるもので、貰ふことになつてゐるのに世話をする人がなか〱持つて来てくれないので直截いたゞきにまゐりましたと待ち遠しい顔つきをした若い姉妹が貰ひにやつて来た。頬ずりして二人で代り合ひながら抱いて行つたものだ。
▽貰はれてゆくときは若干さびしい気はするが、とてもこんなにたくさん飼ふことは出来ないし、みんな貰つてくれる人たちが犬を飼つた経験があり、また子供にせがまれてこれから初めて飼ふやうな場合でも、幸あれと祈る気持は同じである。
▽春秋二回、実はこの出産も大変なのである。父親が判つてゐるときはその飼主と共同責任にしようかと、相談を持ち掛けたいときがある。少し洒落つ気な飼主ならこの気持は察してくれるだらうと、もうきめかけてゐるのであう。