十月

▽どうしてかうおちつきのない口が続くのだらう。何か追はれてゐるやうな、いつでも問ひつめられてゐるようなドギツイ色を持つた一日ですらあるのだらう。静かなおだやかな日であることがかへつてをかしいのかも知れない。物情騒然といつた感じがある。
▽そんな明け暮れであつても、少しくらゐゆとりのある時を見出すやうに自分から仕向けねばなるまい。こせ〱した、背ぐゝまつた姿勢で物ごとを考へたりするのではなしに、おほらかな気持に戻ることが一番いゝ生きかたなのだとふりかえるのである。
△自分のまはりを見ると、親しくしてゐた友だちのたくたりかゞぽつくり逝くなつたりして心細く、まさかと思つた人がどうしてかうも早く世を去るのだらうかとこちらが置いてけぼりを喰はせられたみたいでもの寂しい。
▽本誌八、九月号で数人から追悼の文を書いていたゞいたが、実は母袋未知庵君の御逝去を知つたとき、いつでも死は自分のまはりにあるのだといふことを考へて長大息をした。静かに彼の俤を瞼の裏にゑがくことによつて、自分の生きてゐる不思議さを思つた。
▽すべてが無に帰する純一性がどんなにきびしいものであるかと知つてはゐても案外ふれようとはしない。ふれるまでのこころの余裕がないこともたしかだが、かうせちがらく、カサ〱した世のなかで生きることだけに突つ走りがちな自分たちであつて見れば、そんなことまで考へる時間がなさすぎるのだらうか。
▽たゞ一回の勝負だ、これきりだといふ「生」の掟を一人ひとりが背負つてゐる。この世のなかに人間として生きてゐることの不可解さを消すことは出来ないにしても生きてゐる。この生きる事実にどのやうな意味を持たせようとするのか、それが心掛けといふものになる。
▽偉らさうに言つてもいざ死の前に直面すると、これで案外死を怖れるのだらう。死にたくはないとあがくのだらう。その怖れやあがきをつぶさになめながら、遠く遥かな果ての向ふに行く。それまではたし得る仕事を地道にこつこつ仕上げてゆくか。