五月

▽後生大事に一足でことをすまさうとしてゐた私の不心得を叱りつけるやうに靴が二足になつた話をしなければならない。これがはずみといふものだらう。
▽東京の甥の結婚式を目前に控へ靴だけでも何とかならぬものかと妻がいひ出した。一昨年の姪の結婚式はプリンスホテルだつたが、そのときの洋食のマナーにすつかりおじけづいた私だつたことを覚えてゐて、せめて新調のすつきりした尖ンがつてピカ〱光る靴でぽつと出の田舎ものの印象を抑制しようとする魂胆であることは夫婦愛のしからしめるところと頭を垂れたが、さて既製品か誂品かといふことで少しもめた。既製品なら手つ取り早いがもと〱不恰好に出来上つてゐるこの足がレデイメイドでしつくりゆくかといふのだ。靴をたしなめるより自分の足の方を素直に責めることに一決したがそのとき妻はフンと笑つた。
靴屋の主人は如才のないもので何とまあ稀れに見る珍品であらうなどとは顔にも出さず、私の足の寸法を取つてくれた。足の周囲をくる〱と鉛筆で書いてゆくときなまあたゝかいやうなくすぐつたさをこの齢にして味はつてゐる自分がをかしかつた。
▽出来上つた靴は当世流行のスタイルと言はんばかりになが〲と右と左が並んでいる。これが自分の第二の靴なのか、第二といつてもいろ〱あるが靴でよかつたなこれがほかのもので、たとへば女だつたらさぞ困るだらうなとニンマリともせず、変なところで気負つてみたりした。
▽上京するときまでに度々履き馴れて下さいよと言はれてゐたのにその暇がなく、ゆく当日になつてぶつつけ本番、始めて足を入れたんだが、あまり緊張したせゐか、家からせい〲十分ほどの駅までの道のりで、ぽつん〱と靴ずれを出かしてしまつた。
大塚駅から姉の家までがなかなかの大儀で、こんなことなら古ぼけた気心の知れたすつぽり入る馴染みの第一の靴でよかつたのにとくやんだ。また、新しい靴で少し訓練をしておけばよかつたと思つた。しかしその靴ずれもよくなつて今は第二の靴とも馴染みになり愛されるやうになつたといふ話。