十二月

▽よく夜店などで軽便ネクタイといつて、一々締めずにすぐ間に合ふ針金か何かで工夫したネクタイを売つてゐる。それはちやんとうまく締めてあつて、そのまゝ首の廻りにあてがへばよい。朝寝坊したサラリーマンなんかは、あわてゝ締めるに及ばず、これをズボンとカラーのところにはめこめばよいといふのが売り言葉である。
▽たゞのぞいて買ふ気のない人たちの顔をからかひながら、夜店の商人は威勢がよい。呑んでかゝつゐて、小馬鹿にしたやうな腹立たしいことを吐いてまで客寄せをするのである。これはなるほど都合のよいものであるに違ひないが、それ来たとすぐ手が出るシロモノではない。いくら体裁かまはず、無精で飾りつ気のない無骨者の私でもこれはちと不向きである。
▽考へてみれば私はネクタイが全くのところ二本しかない。一本は弔問用の黒であつて、もうひとつは肥後紬手織のものだ。背広を来てネクタイを締めて出掛けねばならぬときはきまつてこの手織である。
▽たくさん持つてゐて訪問先により色を変へてゆく殊勝なスタイリスト多いがなかに、後生大事にたつた一本をあらゆる方面に活用してゐるなんて、どうもけちだと思ふ人もあるだらう。ほんたうはこれ一本で結構、あとは欲しいとは考へない。
▽これは寺尾洸二さんといふ人がこしらへたネクタイである。寺尾浩さんはその兄さんで、浩さんは昭和十二、三年頃、松本中学と松本商業の画の先生をしてをられたので知つたのだが、弟さんが熊本市郊外江津湖畔の画室で逝くなつたその遺作なのである。洸二さん絵画研究の為、東京へ出て勉学したが、画心は常に静かなる郷土の自然に合つたので帰郷し制作に専念した。画稿、絵画、染織工芸をたくさん残された。その遺作集は立派な本になつて世に出た。中央画壇に華々しく活躍するでなしに郷土にあつて黙々と芸術欲求にいそしまれた人の制作されたネクタイなのだと心からの親しみと自分への励ましが湧く。