九月

▽頃日、松本市立博物館で「松本の歴史展」が開催されたが、そのとき頼まれて川柳と狂歌に関する本を出陣した。この歴史展では松本の上代から近世に至る文化的な資料が図説的に或いは現存物としていろいろの角度から並べられる。かうして自分の郷土の成り立ちを考へて見ると、歴史のはるけさといふことを振り返り、また私たちのいま住んで居ることの意義を感ずるのであつた。
▽松本で刊行された狂歌集でかねがね欲しいと思つて居た「狂歌水篶集」を一昨年一月に手に入れた。文化十一年刊。この本に就ては本誌にもちよつと紹介したことがあつたが、四方滝水や狂歌堂真顔の序文があり、四方滝水が松本の弟子又香に自分の前の雅号の吾友軒を譲つたことがしるされて居る。又香は吾友軒酒月米人となる。この狂歌集は松本地方の狂歌作家の作品集だから、十返舎一九の「続膝栗毛」八篇善光寺街道の挿絵に賛をして居る新田園長丸や月下亭梅叟の名も見える。
▽この梅叟は「古今田舎樽」に関係があり、その父の田舎坊左右児と弟子の石原亭英子が選者となつて「田舎樽」が刊行されたことは御高承の通りである。松本が俳諧、前句附が盛んであつて「田舎樽」の川柳句集が刊行される素地があつたことを物語る「俳諧薫る風」をも出品したが、これは所謂会所本で、前句附初期時代の形式をふんだとことであり、信松本篤行舎己白選。六月廿日会、惣連四千八百四十五吟ともある。