五月

▽北信濃あたりでこしらへたと思われるみご細工の色紙掛けを事務を執つてゐるうしろの壁に置いてある。四隅に斜に糸があり、それに色紙を差すやうになつている。
▽毎月一度は季節的な内容を持つた色紙に差し変へる。五月は食満南北さんの画賛川柳で、柳に蝙蝠をあしらつたもの、「まち人の眼に」としてその蝙蝠の画を読ませ、つゞけて「引かへし」とゆくのである。さわやかな初夏にふさはしい私の愛蔵する色紙である。
▽その南北さんが五月十四日に大阪の城西病院で逝くなつたことが、こんな田舎の新聞にまで載り、哀悼の意に堪へず、早速弔電を打つたことだつた。こちらの夕刊に出た翌日、東京の新聞のいづれにも南北さんの弔報が出てをり、さすがは聞えた人だつたのだと、平素気楽におつきあひをしてゐる自分のふつゝかさを恥ぢ入るのであつた。南北さんはもうこの世にゐないのだと自分に聞かせた。
▽ご存じのやうに本誌には長く「芝居と絵」を連載、非常な好評で、あとを読みたいと言つて来る方々が多かつたのである。
▽南北さんの字は読み難く、どうしても判断し得ないときは、その原稿を返送して聞きたゞしたりした。そんなときこちらの不見識を決してなじらず、たゞ平伏したほどの謙遜そのものに「これからは小学校一年生になつたつもりで書きます」とキチン〱とした字でお返事をいただいた。無躾な事を何かと申入れたが一度も怒られなかつた。