四月

▽放送川柳は各地で盛んなやうである。NHKばかりでなく民間放送でも川柳を採り上げてゐる土地がある。頼もしい。
▽雑誌のうへでは文字から来る視覚的な作用で効果を挙げるのに対して、放送では聴覚的な作用で誌上とは違つた受取り方を仕向けるものである。文字で書けば何でもない意味が、ほんの短時間に過ぎさる言葉として解り難いいらだゝしさを感じさせることもあるやうである。それは不用意な言葉の扱ひ方から来るのである。
▽さうした限界を意識することは放送に於ける言葉の選択につながり、そしてそれが放送の態度に及ぶものなのである。とは言つても時にふれ折にふれ、はしたない難しい言葉が入つて聴き苦しいときがある。放送といふことも楽なやうだが、さうした点で苦心もし慎重を期さねばならない。
▽当地の民間放送に頼まれ二、三人でお正月とかお盆とかの時期的な座談会をやつたことがあつた。座談のうまいものが一人でも入つてゐると、外のものが楽だし、話も図に乗つて来て訥々ながらその口下手さがなか〱味があつて面白く聴ける。
▽どこでも大抵さうだが放送川柳は題を出してやる。川柳の持つ姿とか持味を考へてヴアラエテイに富んだ時間にするために録音を入れたり擬音でひねつたり、ひとつの雰囲気を盛つてゆくことも、新しい様式であらうかと思はれる。「花見」ならさくら変奏曲、「金魚」なら金魚屋さんの売り声など。