二月

▽頃日、加藤楸邨さん、木俣修さんと席を共にする座談会に恵まれた。川柳、俳句、短歌の交錯する諸問題を議論することではなく、或る職場の文芸欄をお互ひジヤンルに於て如何に育成発展させるかといふありふれた話し合ひに終始した。
▽つゝましやかな人であつたり尊大ぶつた人であつたりする印象は初対面でおほよそ経験することではなるが、この座談会でもその例に洩れなかつた。たゞかうした人たちが短歌なり俳句なりを愛する今日的なものを抱かれてゐることをはつきり示され、それだけに負けてなるものかとおのれの川柳を愛する気持を一層強めたことであつた。
▽戦後、女性の進出と職場グループの擡頭、それに療養する人たちの目覚めといふ話が出たが詩歌の道ではいづれも同じことであるとうなづいた。そして最も感じたことは歌人でも俳人でも継ぐべきひとを求め且つ発見しこれを薬籠中のものにするに惜しまない努力をいかに続けてゐるかといふ切実さであつた。
▽偶々「末摘花」のことが話のなかに出て来た。揶揄してゐるのか、或ひは人間の真実性を川柳のなかに照応してゐるのか、本意はわからなかつたが一応話題に出た。図に乗つて私は相対した。もし蔑視したつもりだつたら鈴木しづ子の「欲るこゝろ手袋の指器に触るゝ」や武山英子の「やはらかく乳房をふくむ唇のあるが如くも夜ふけぬるかな」を出して抗じたかつた。惜しいことに座談の時間がなく真の本意は摑めずに終つた。