一月

▽十二月はとう〱休刊してしまつた。十二月号は如何にもして年内のうちに発行したいと思つてゐたが、俗事多忙に加へ急に取り込みが出来たりして、精神的にも狼狽したかたちになつてゆく自分ひとりのおきどころを、師走の押し迫つた一日々々に重くるしく感じ取らねばならかつたのである。
▽地方柳誌として堅実な歩みを大方の声援のもとに続けて来た小誌だけに、休刊は全く主宰者としてつらかつた。僚誌をいくつも印刷してゐるからつい遅れがちといふ逃げ口上も、長く甘へて来た手前利かず、たゞ済まないこゝろでいつぱいである。
▽十二月号を休刊した埋合せに年内のうちいつか増頁ものを発行する企画を樹てゝゐる。編集も一段と斬新な内容で飾りたく今から張り切りざるを得ない。何分のご諒承を乞ひたい次第である。
▽本誌にこよなき評論を書いて下さる小樽の江端良三さんと、ユニークな作風を以つて鳴る鴉組の片柳哲郎さんは旧臘父を喪はれた。ほんたうに哀悼の意に堪えない。私もやつぱり十二月二十七日に父を逝くした。明治八年生れだから長寿の方で、まあ〱あきらめもつくといふものであらうが、長い間生活を共にして来た両親とのこの世の別れの瞬時といふものは人間にとつてかけがへのない感傷のひらめきを心底から覚える。涙のにじみ出る想ひであつた。あの感激にひたれる純真さだけで、この現実の世界を暮すことは出来ないこともわかるのであるが。