八月
▽さる人がやつて来て、旅館を開業するから旅館の名付親になつて貰ひたい、それから尚さしでがましいが、部屋の仕切りに掛けるのれんの図柄を考へて下さらぬかと慇懃に申込まれた。私にはちと重荷だし、かへつてぶちこはしになるとご迷惑だからと頭を下げると、先方では心得たもので、いやお手並は既に拝見してゐる。あるそばやののれんのことを持ち出された。
▽あれでよいのですよ、何も四角張つたものを考へていただくつもりはありませんから、気軽く無造作にやつてくれませんかと、なかなか許してくれさうもない。絵を観たり、絵のなかに自分を置いて遊んだりするくらゐなことはいいが、自分でさて書くとなると躊躇せざるを得ない。でもそれほど言はれるならひとつ恥でも書きませうかと、つい引受けてしまつた。
▽夜など気の向いたとき、手すさびにする絵のいくつかのうち運んで思ひきつてしたためた。河童と胡瓜の絵には
晴れて
また振つて
筧の絵には
高い山
低い山
傘の柄には
月賞めて
人賞めて
▽かういふ色に染めたらとか、白ぬきにしたらとか、一応こちらの意向を持ち出したが、それにこだはらずやつてほしいといつておいた。旅館の名前は青雲荘らしい。何だか自分一人で作つたやうな嬉しい気分でゐる。