七月

週刊朝日別冊の「世界探検冒険読物号」の読者の椅子に吉野良三君の名が見える。(京美人に味噌汁を)の文中ににもあるやうに彼は信州人である。しかもしなの川柳社同人の県外唯一人のわが同志でもある。しなの川柳社では同人制といふことに経営的な意味合ひを強ひては居ない。その点案外気楽である。だから自然と同人は始終句会で顔を合せて居るものゝうちから選ばれる恰好にある。孤立的な排他的な気持は毛頭ないのに、いつの間にかさうなつてしまつたが、しなの川柳社でもこの際大きい飛躍を遂げるためにも、またより多くの同志を糾合するためにも、川柳しなのを愛する人や育成に心を砕いてくれる人を双手をもつて迎へ入れるやうにしなければならないのではないかとも私は考へて居る。
▽吉野良三君は終戦後帰郷せられ、屡々わが句会に出席、話題の豊富なところからその風格と共に句会にはなくてはならぬ人となつてしまつた。音楽だとか、謄写版だとか、短歌俳句、劇映画やバーレスクに至るまで趣味のゆたかな人である。勤めの都合で京都に移つてしまつたけれど、山彦集には投句を怠らないで居る。此頃ではNHKの放送小ばなし会に入選、大分悦に入つてをられるやうである。川柳しなのの句風をなつかしむの余り、京都のどの句会にも出席しないが、たまに地元の句会に顔を出して、信州人のよい肌合ひを京なまりのなかにひらめかして貰ひたい。それは句を練るうえにも役立つのではないか。